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検証:創造界隈

毎週水曜日、横浜市の施策クリエイティブシティについて御紹介するコーナーです。さて、この間「ナショナルアートパーク構想」を取り上げまして、めでたくクリエイティブシティ構想の4本柱すべて御紹介したことになります。つまりは、「創造界隈」「映像文化都市構想」「横浜トリエンナーレ」「ナショナルアートパーク構想」。一応、4本柱を紹介して最低限のミッションは達成したと思いますので、今日はお休みします、、というのは嘘です。折角4本柱を紹介し終わったので改めて、クリエイティブシティについての概観、雑感を書き連ねて行こうと思います。

さて、クリエイティブシティ構想は、今実際どのような成果が出て来ていて、どのようなところが課題なのでしょうか。そこらへんを探って行きましょう。ではまず今日は「創造界隈」の検証です。
「創造界隈」http://www.city.yokohama.jp/me/keiei/kaikou/souzou/project/vicinity/about.html
      http://d.hatena.ne.jp/hamakei/searchdiary?of=4&word=%2a%5bcreative%20city%5d
横浜市中心部にある歴史的建造物に、アーティストやクリエイタ−が入居、滞在、制作、作品発表して文化的なものによって横浜市の活力を高めて行こうという施策です。これによって出来た拠点は、BankART1929、BankARTNYK、BankART桜荘、ZAIM、急な坂スタジオ、万国橋SOKOの各拠点と、それに影響を受けて創造界隈地区に民間が呼応して創った拠点が「北仲BRICK&WHITE」「本町ビル」「東京藝術大学大学院映像研究科」です。
これは、BankARTがまず一番最初に馬車道に拠点を創ってから広まって行った施策だといえるでしょう。BankARTが様々な革新的な展覧会やイベントを行って、アート関係者や文化人がこの界隈にさかんに来るようになった。その流れの中で、BankART1929のお向かいにある旧帝蚕倉庫のビル群を所有していた森ビルが、そこを再開発するまでの1年半、ビルの一部を様々なクリエイターに貸し出した。それが「北仲BRICK&WHITE」でした。そこには様々なクリエイター50団体が入居し、1年半の間に様々な交流やコラボレーション、そして二回にわたる「北仲OPEN!!」というオープンスタジオが開催されるなど成功をおさめました。
拠点終了後も創造界隈で今後も活動して行きたいというクリエイターが多く存在するようになり、それに呼応する形で出来たのが「ZAIM」。横浜市が民間の活力とともに運営しているスペースです。
また、「ZAIM」に入りきれなかった北仲クリエイターは、BankARTの拠点や「本町ビル」などに移り、引き続き活動しています。このような流れと並行して、「東京藝術大学」の誘致や、演劇舞踏の新発信地「急な坂スタジオ」、バンタンなどが入居している「万国橋SOKO」など様々な拠点が次々に出来て今のにぎわいになったわけです。

創造界隈の成果としては、実際にクリエイターが継続して「創造界隈」に関わり続けているような流れが出来たことです。つまりはBankARTの事業から北仲、そしてZAIMとつながりができ、クリエイターもその流れにのって活動してこれた。イベントも数多くうたれ、クリエイター同士のコラボレーションが生まれてきた。例えば、建築家の西田司氏とアーティストの淺井裕介氏が東京神田で行ったイベントなどもそうです。
http://blog.polonium.jp/?day=20060503

反面、課題はまだまだあります。
創造界隈の拠点は沢山できたとはいえ、「ZAIM」や「本町ビル」は期間限定の空間。クリエイターは、約1年半後から2年後にはまたどこかに移動しなければなりません。「北仲BRICK&WHITE」は本当に1年半で終わってしまいました。
1年半といいますと、やっと入居者が落ち着いて自分の空間として扱えるようになって、これから本格的に腰を据えて面白い活動やコラボレーションが出て来た、という時です。「北仲BRICK&WHITE」に入居していた人々にインタビューしてまわりましたが、実際のところは5年くらい継続して落ち着いてやりたいという意見が多かった。アーティストはまだ個人で活動しているので機動力はありますが、特に建築事務所などの引っ越しは一大事業です。。これは、なかなかむずかしい問題です。

2番目の課題としては、150周年記念事業や横浜トリエンナーレなどのビックイベントが終了し、それ以後どのようにしてクリエイターを継続させて街の中心部に根付かせるかというところです。拠点は増え、クリエイターも沢山来たのは良いのですが、それから街に根付かせるまでが重要。ただクリエイターを呼んでおいても、ビックイベントが終わったらバイバイでは、これだけ苦労してクリエイターを集めて来た意味が半減してしまいます。
また、クリエイターのほうもそれでは納得が行かないでしょう。

3番目としては、市民とのつながりです。拠点は出来ても、やはり市民との接点がなければ文化が街に浸透しているとはいい難い。まだまだその方も、可能性を沢山のこしていると思われます。また、教育を含めて、子供達などと積極的な交流をはかるような企画があっても良いかもしれません。

最後の課題としては、まだまだアートやクリエイティブなことを総合的に熟知した上で計画的に普及させて行くことができるような人が少ないということです。そのような「目利き」の人材が複数横浜に根付いて、積極的に様々な計画を練ってくれたりすると、だいぶ違って来るでしょう。

以上の4点が、私が創造界隈と約2年間付き合って来て感じたことです。是非ともこの素晴らしい「クリエティブシティ」構想を発展して行ってほしいですね。ではでは、今日はこのようなところで。



著者:山本浩生 簡単なプロフィール
私は、現在は主に横浜を拠点にアーティストとして活動しています。東京出身なのですが、横浜のアートがいま非常にあついのを察知し、約2年前に横浜にふらふらと拠点を移してきた次第であります。横浜では北仲ホワイトにポロニウムという団体を創って入居していました。
http://polonium.jp