ヨコハマ経済新聞アンテナ +

横浜都心臨海部のビジネス&カルチャー情報を配信する「ヨコハマ経済新聞」編集部のブログ

紅白の灯台 〜横浜港内防波堤灯台〜

横浜港には紅白で対をなしている灯台が3つある。
もっとも外側にあるのは大黒海づり公園と横浜港シンボルタワー間にある灯台。
この灯台の外側は横浜港ではなく東京湾になる。


2つ目はベイブリッジのたもとの両岸にある灯台(横浜外防波堤北・南灯台)。
今や横浜港の玄関口としてはベイブリッジが印象的である。
それゆえ、この灯台が横浜港の玄関口としての印象が強い。
しかしながら横浜港は開港当初から現在のような規模の港であったわけではなく、ベイブリッジのたもとにあるこの赤・白の灯台(横浜外防波堤北・南灯台)が造られたのも、昭和10年代に入ってからの第3期築港工事においてである。


開国当初の横浜港は、現在の大桟橋付近に小さな波止場が二つある程度の小規模のものであった。
1889年(明治22年)から、後に「近代水道の父」と呼ばれるようになるイギリス陸軍工佐H.S.パーマーの指導のもと、第1期築港工事が始まる。
そして1896年(明治29年)にこの第1期築港工事が竣工し、大桟橋と内防波堤が造られた。
その際、内防波堤の1829mからなる北水堤と1640mからなる東水堤にはそれぞれ赤と白の灯台が設けられた。
これこそがかつての横浜港の範囲を示す、そして横浜港初期から100年以上にわたり、横浜を見つめてきた最も古い灯台である(横浜港内防波堤灯台)。


以前は、北水堤の赤灯台からは赤い光を、東水堤の白灯台からは緑の光を放っていたとのことであったが、その後の港内拡張工事によって東水堤は徐々に埋め立てられ、白灯台は1963年(昭和38年)にはついに役割を終え、山下公園氷川丸横に移設、今は山下公園のシンボルの一つになっている。
一方の赤灯台は100年以上経った今もなお、現役で働き続けている。


横浜港の景色を楽しむ際にはどうしてもベイブリッジなど大きく現代的なものに目がいってしまうでしょうが、たまには港内に小さく浮かぶ赤灯台にも目をやって長年の労を労ってやって下さい。

内防波堤の赤灯台と白灯台

1896年(明治29年)、横浜港の港口、2本の水堤先端に赤と白の無人灯台が設置された。赤灯台は紅光、白灯台は緑光に光った。横浜歴史イロハがるたに「二ツ並ンデ紅白灯台」とよまれ、市民に親しまれてきたが、白灯台は昭和38年に山下埠頭建設の際に撤去。現在は、氷川丸の桟橋先端に保存されている。

1896年に横浜港の港口の水堤先端に設置され、市民に親しまれていた赤と白の無人灯台のうち白灯台は1963年に山下埠頭建設の際に撤去されていたが、建設予定地が赤灯台に近いことから、併せて白灯台を復元し、紅白の灯台の復活を図るプランも盛り込まれている。


横浜市港湾局 横浜港の歴史
http://www.city.yokohama.jp/me/port/gaiyou/rekishi/index.html


近代建築アーカイブクラブ 横浜港内防波堤灯台(赤・白灯台)
http://www.kindaikenchiku.com/yokohama/yokohama_akasirotoudai.htm