日産と横浜
日産自動車は1933年に横浜で創業された企業であり、今も登記上においての本店所在地は横浜となっているものの、横浜を代表する企業として日産自動車の名をあげる市民は3割程度しかいないとも言われていた。
戦後、本社機能を現在の東銀座に移転させたのに伴い主要な部署は東京に移ってしまったため、市内もしくは県内に多くの関連部署や工場、さらには主要な研究所、その他にも関連企業が多数あるにもかかわらず地元企業としてはそれほど認知されていなかった。
以前から「日産は横浜の会社」だということを耳にする機会はあっても、横浜にある身近な企業というイメージはなかなか描きにくく、また販売台数においても「地元」でトヨタの販売台数に及んでいなかった。
もちろんサッカーを通しては横浜F・マリノスのホームタウンが横浜であり、またその前身が日産自動車FCであったということを考慮すると横浜色が強くなるけれども。
そんな中、近年の日産自動車は本社の横浜移転、横浜国際競技場の命名権取得など「横浜化」を前面に打ち出してきた。
本社社屋を横浜のど真ん中、MM21地区に建設、横浜F・マリノスのクラブハウスも隣接するエリアに移転させるなどしている。
赤レンガ倉庫前での車両展示の機会も増え、先週末行われた、「NISSAN MOTORSPORTS EXHIBITION 2008」は今年で4回目を迎えた。
以前はこういった量産車・特殊車両の展示イベントは日産自動車の東京本社を中心とする各主要都市に所有するギャラリーで行われていた。
さらにレーシングカーの実走行となると、レース以外ではモーターショーやオートサロンといった大きなイベントでの特設会場やニスモ(日産自動車のモータースポーツ関連部門子会社)が主催する富士スピードウェイでのイベントなどに限られていた。
それが横浜で行われるのも日産自動車がこの地域を大事に考えてくればしているからこそできることであり(もちろん官・民のバックアップもあってできることである。)、このほかの様々な「横浜化」を見ても、これらは横浜創業という「過去」だけを見ているのではなく今、そしてこれからもこの地域と歩んでゆくという強い意思表示と見て取れる。
バブル崩壊後にはかつての国内第2位としての確固たる地位さえも失ってしまったが、その後はゴーン改革が進み復活。
これからは本来の「横浜の日産」としてさらなる完全復活・発展をここ横浜から遂げてもらいたい。
もちろん今のような地域密着の姿勢を続けてくれれば、日産に対する市民の地元意識も今までと変わってくるでしょう。
日産自動車ホームページ
http://www.nissan.co.jp/
ようこそ、日産の工場へ
http://www.nissan.co.jp/INFO/FACTORY/
赤レンガ倉庫に日産の歴代車が勢ぞろい−デモ走行も - ヨコハマ経済新聞
http://www.hamakei.com/headline/3019/