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横浜道 〜横浜の古道〜

市内中心部には古くから東海道鎌倉街道などの街道筋があり、今も多くの車が行き交う。
そんな中、現在はほぼ並行する新横浜通りに幹線道路としての役割は移ってしまっい一市道に過ぎないが、かつては開港後の横浜への道筋として栄えたのが横浜道である。


幕末、松代藩士佐久間象山外国奉行岩瀬忠震らの進言により幕府は人馬の往来が多い東海道神奈川宿・神奈川湊を避け、対岸の横浜村に開港場を決定した。
しかしながら当時、東海道筋から横浜港へ到る道は陸路なら保土ヶ谷から井戸ヶ谷、蒔田を経由して遠回りするか、神奈川からの舟運しかなかった。
そのため新たな道路が必要となったが、この横浜道の工事は横浜開港をわずか3か月先に控えた1859年(安政6年)3月から始まるという大変急なものであった。


東海道神奈川宿のはずれ、現在の浅間下付近から分岐した横浜道は当時湿地帯だった岡野・平沼を抜け、戸部から野毛の切通しを通った後、現在の横浜中央図書館前から野毛本通り方面に進み都橋を経て吉田橋に至る。


現在、開港後の主要道路として栄えたこの道のにぎわいを伝えるものはほとんどない。
浅間下近くにかつて横浜道があったことを伝える案内板があるのと、道筋のアスファルトに埋められた道標があるくらいで通り自体にその面影は残念ながら残っていない。
しかしながら、この道を俯瞰的に見ると、後につくられていった要所・名所の所在地から、この道が開港後の横浜の物流に寄与しただけでなく、都市としての横浜の発展にも影響を与えたことは間違いないということがわかるでしょう。



横浜市西区ホームページ 西区歴史街道 横浜道
http://www.city.yokohama.jp/me/nishi/midokoro/rekishikaido/rekishikaido02.html