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神奈川宿

かつては東海道五十三次の三番目の宿場町として栄えた神奈川。
のちには県名の由来ともなった。
宿場町は、現在の京浜急行線・神奈川新町あたりから横浜駅西口のある鶴屋町近くの神奈川区台町あたりまで続いていた。
当時、このあたりは海に面しており、幕末には神奈川台場が設けられるなどしていたが、現在はその面影も残っていない。


また、横浜駅周辺から平沼一帯もかつては入江となっており、後の横浜港開港後に生糸の輸出で賑わう八王子街道と交差する現在の松原商店街辺りまでは風光明美な景色が続いていた。
また東海道有数の景勝地として、安藤広重の「東海道五十三次 神奈川宿 台之景」で描かれ、十返舎一九が「東海道中膝栗毛」で絶賛した袖ヶ浦からの眺望は神奈川宿の一番西側、神奈川関門近くで、現在の台町の高台からの眺めである。
残念ながら、安藤広重の絵では遠く磯子や金沢方面まで見渡せるようであるが、現在見えるのは乱立するビルやマンション群で当時の眺めは全く感じられない。


宿場町としての神奈川は、横浜港が開港後し商業の中心が横浜港に移ると寂れてゆき、更には関東大震災や太平洋戦争の被災によって、かつての面影はほとんど失われていった。
現在、その名残の多くは石碑などで残っているばかりとなってしまったが、そんな中で神奈川宿ゆかりの店舗として唯一残るのが台町にある料亭「田中家」である。
江戸時代(とはいえ幕末ではあるが)の1863年(文久3年)から続く料亭で、明治初期には坂本竜馬の妻であったおりょうが働いていたとのこと。
また、上記した安藤広重の「東海道五十三次 神奈川宿 台之景」にはこの料亭の前身である茶屋・旅籠の「さくらや」が描かれている。
周辺はマンション開発などが進んでいるが、神奈川宿ゆかりの唯一の店舗としてこれからも頑張っていって欲しい。


この神奈川宿の台町から次の宿場町である保土ヶ谷まで至る途中、松原商店街相模鉄道天王町駅付近までは、交通量の多い環状一号線に沿う裏道のような旧東海道を静かに歩くことができる。
かつての人々が歩いた宿場町から次の宿場町までの距離がどれくらいなのか、散策がてらに歩いてみるのも面白いかも知れない。



横浜 割烹 田中家
http://www.tanakaya1863.co.jp/