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お三の宮

地元の人たちには横浜関外の鎮守として「お三の宮」の愛称で親しまれている日枝神社
すぐ近くに交通量の多い鎌倉街道があるものの、神社内に入ると樹齢の高そうな木々が茂っており神聖な雰囲気とともに静寂に包まれる。
聞こえるのは隣接する日枝小学校の子どもたちの声くらいか。


お三の宮は1673年(寛文13年)、吉田新田を埋め立てて開発した吉田勘兵衛が新田住民の安寧幸福や五穀豊穣を祈り、江戸の日枝神社から勧請し創建した。
そんなお三の宮の由来については3つの説がある。

  1. 勧請元である江戸の日枝神社はかつて山王社・山王大権現・山王宮と称されており、その山王宮が「山王宮」→「山の宮」→「おさんの宮」と訛ったという説。
  2. 当時の吉田新田の開発は難航しており、二度目に工事を再開した時に、吉田勘兵衛が工事の成功を祈願してお経の本を三つ埋め立てたのが由来という説。
  3. 「お三」という女性が世話になった吉田勘兵衛へのお礼として、難航する新田開発の成功を祈願し自ら人柱に立ったという説。

3つ目の説については単なる言い伝えに過ぎないようではあるが、お三の宮周辺の小中学校に通っていた方ならば一度は耳にしたことのある話だと思う。
これは1657年(明暦3年)の大雨により開発中の新田の堤防が決壊したことに付会しているらしい。


さて、ハマっ子たちが最もお三の宮を身近に感じるのはお三の宮秋祭りではないでしょうか。
秋祭りでは大神輿御巡行が行われ、大きさ、巧緻さ、荘重さ等が横浜髄一である社宝大神輿が神社から伊勢佐木モールなどを巡行する。
また、奇数年に行われる本祭りでは大神輿だけでなく、町内神輿連合渡御が行われ、
40〜50基もの大小町内神輿とともに多くの祭り好きも伊勢佐木モールへ繰り出す大きなお祭りとなる。


お三の宮があるのは吉田新田の一番奥、つまり入江だったところの一番奥にある。
実際に訪れてみれば、かつて横浜がどれほど奥まで海であったか驚くと同時に、今よりはるかに技術の劣る当時の人々の新田開発での苦労を窺い知ることができる。



神奈川県神道青年会・神奈川県神社庁 お三の宮日枝神社
http://www.kanagawa-jinja.com/mem/main/48.html

黄金町プロジェクト 【歴史】大神輿はヒップホップを進む〜お三の宮秋祭りにて
http://www.koganecho.com/2006/09/20/history-4/

レッツエンジョイ東京 [秋祭り2007] お三の宮秋祭り
http://www.enjoytokyo.jp/OD004Detail.html?EVENT_ID=87384