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「居留地時代をしのぶ土木遺産〜ブラフ積石垣〜」


まもなく開港150周年を迎える歴史の深い港町・横浜。そんな横浜を何気なく歩いてい
ても、歴史あるものに無意識に出くわしているものである。


横浜には数多くの歴史的建造物、遺構があることは周知の事実である。特に山手などは外国人居留地があった時代が色濃く残っている。「ブラフ積」という洋風石垣も、その中のひとつである。
「ブラフ積」とは、1867年に第一回山手地所の競売によって外国人の住宅地として開放され、細かく入り込んだ斜面に宅地が造成された過程で生じた多くの崖の土留めのことを言う。千葉の房州石を棒状の直方体に加工し、長手面(横)と小口面(縦)を交互に並べたもので、従来の「野面積」とは異なる積み方は当時としては大変画期的であった。もともと「ブラフ(Bruff)」とは、海岸や谷間の「絶壁・断崖」を意味し、当時本牧や山手に多く見られた切り立った崖を「ブラフ」と呼んでいた(幕末、日本来航時に横浜周辺を測量したペリーは、本牧十二天《現在の本牧市民公園》のオレンジ色の崖をその色から『マンダリン・ブラフ』と呼んでいた)ことから、居留地によって生まれた洋風技術と言える。また、縦に積むことで、崖に深く入り込むようになっているため、耐震性にも優れ、関東大震災でほとんど崩壊せず現存している場所が多いことを考えてもそれが実証済みだと言えよう。


ここで、横浜に現存する「ブラフ積」を訪ねてみた。まずは西区の掃部山(かもんやま)公園。明治5年の鉄道創業時、外国人の鉄道技師の官舎を建設する際に作られたもの。房州石よりもさらに強固な安山岩(真鶴石)を積んでいるそうだ。1996年に災害予防目的で一旦解体されており、現在のものは復元したものである。


そして、中区・山手のワシン坂。この地こそ、まさに「切り立った絶壁=ブラフ」と言われるにふさわしい場所である。緩やかなカーブに沿って積まれているのが美しい。余談だが、このワシン坂はハマの至宝・クレイジーケンバンドの「透明高速」という曲の歌詞に「病院坂」という造語で登場している。


最後に同じく中区・山手のフェリス女学院大学山手キャンパス脇の道路。ここには「ブラフ積」の対をなして伊豆石2枚を船底型に組み合わせた石造側溝「ブラフ溝」があり、ブラフ溝・ブラフ積の両方を見ることができる数少ないスポットである。


この他にも元町から外国人墓地への坂道や港の見える丘公園フランス山などでも「ブラフ積」は見ることができる。何気なく歩いて通り過ぎているものでも、深く掘り下げてみるとなかなか面白いものである。


記事:田中 健介


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