ヨコハマ経済新聞アンテナ +

横浜都心臨海部のビジネス&カルチャー情報を配信する「ヨコハマ経済新聞」編集部のブログ

万国橋

関内地区から港側へと延びる馬車道の先で新港ふ頭へとつながるのが万国橋
この万国橋は橋台の石積みなどの重厚な雰囲気と共に、橋詰や欄干などデザイン的にも美しいコンクリートアーチ橋である。


明治から昭和初期にかけて貿易で栄えていた新港ふ頭と関内を結ぶために、この橋が造られたのは1940年(昭和15年)。
しかし翌1941年(昭和16年)に太平洋戦争が開戦し、数年後には敗戦を迎える。
赤レンガ倉庫などの新港ふ頭の施設はアメリカ軍に接収されたため、「貿易で栄えるふ頭をつなぐ」という当初考えられていた役割とは異なる役割を担うことになる。
そしてアメリカ軍からの返還後には、その赤レンガ倉庫の歴史に代表されるように、新港ふ頭自体にかつてのような活況が無くなり、万国橋ももはや「万国につながる橋」ではなく、その重厚な存在感とは裏腹に、運河にかかる橋の一つに過ぎなくなっていた。


しかし時代が昭和から平成に変わると、新港ふ頭の再整備が進み、赤レンガ倉庫は改修、ワールドポーターズが建設されるなど周辺エリアは商業・観光・文化的なところへと姿を変えた。
それに伴い万国橋も、歴史的な建築物が残る馬車道や海岸通りなど旧来からの横浜観光エリアと、新たな横浜の商業・観光エリアに生まれ変わった新港ふ頭とを結ぶ新たな役割を担い、以前にも増して多くの人がこの橋を渡るようになった。


また、今やこの万国橋自体が横浜散策や観光で魅力的なスポットの一つでもある。
この橋の造りの美しさはもちろんであるが、橋を渡る時にみなとみらい方面を眺めると思わず立ち止まってしまうほど景観が良い。
特に夜はビル群とともに川面に映る灯りがとても美しく、写真撮影のポイントとしても有名。
歴史の変わり目に造られたために、その役割を時代ごとに変えていたこの橋は今、横浜を象徴する景色が楽しめる場所の一つとなり、多くの人に愛されるようになった。


神奈川県HP 万国橋 (写真は1990年代初頭頃と思われる万国橋
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/tosiseibi/machi/keikan/50sen_100sen/hashi100/p021.htm