レンガが語る短い運命〜二代目横浜駅駅舎遺構〜
横浜市西区高島町。最近できた「LOIRE YOKOHAMA REMNANTS」という高層マンションの敷地内の小公園に、レンガ造りの基礎部分を残した「二代目横浜駅跡」がある。
そもそも現在の横浜駅の駅舎は四代目のものである。初代駅舎は明治5年の日本初の鉄道開業の終着駅である現桜木町駅であることは知られているところである。三代目駅舎は現在の横浜駅と同じ場所である。
そう考えると、二代目横浜駅駅舎を知る者は極めて少ないだろう。
横浜駅を取り巻く鉄道の整備は、随分と試行錯誤を重ねたようだ。新橋〜横浜間の鉄道が開業されて以来全国に鉄道が広まってゆく訳だが、経済発展が進むにつれて、大阪など西へのアクセスが必要不可欠となってくる。そうすると初代横浜駅である桜木町周辺は大岡川や市街地関内などの存在が鉄道延伸へのネックであったようだ。
そこで西へのアクセス、横浜市民の利便性を考えて大正4年にこの二代目横浜駅が完成した。レンガ造りの駅舎で、東京駅丸の内口駅舎に負けずとも劣らない見事な建物であったようだ。しかしこの駅舎も大正12年9月1日の関東大震災で崩壊してしまう。
この場所から西へ線路を繋いでいたため、以前は神奈川から保土ヶ谷を直線的に結んでいたのと比べると不自然な曲線を描いていたようだ。そのため、走行スピードが落ちたとも言われていて、この二代目横浜駅は大変不評だったようで、震災による崩壊後は再建されることなく現在の横浜駅へと移転してしまい、わずか8年の運命であった。
その後この二代目横浜駅は現在の東急に払い下げられ、いつの間にか姿を消し、近くに東急東横線高島町駅が完成し、すっかり忘れられてしまった。時は過ぎて平成15年にこの地で再開発をする際に、この二代目横浜駅駅舎のレンガ造りの基礎部分が発見されたという。翌年には東急東横線の高島町駅も廃駅になったというのも、何か因縁めいていると言うか、実に因果である。
少し歩けば戦災によって失われた京浜急行線の旧平沼駅跡があったりと、この地域の周辺は近代の横浜の都市形成における試行錯誤の跡が随所に見受けられる。
記事・田中 健介