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馬車道をご存じですか?

横浜開港後、この辺りは吉田川に架けられた吉田橋の関門で「関内」・「関外」に隔てられており、外国人居留地となっていた関内地区には多くの外国人が住んでいました。
そこに住む外国人の道路整備の要望から馬車道が生まれることになったのです。
その要望というのは、吉田橋から関内地区を経て開港場に至るまでの約1kmの道路拡張・整備というものでした。その要望は聞き入れられ、それまで日本にはなかった街路樹なども整備された道路となり、馬車が行き交うようになっていきました。
馬車を見たことのなかった当時の人々はその光景に驚き、「異人馬車」という呼び方でその姿を珍しがったとのことです。そして、その馬車が行き交う道という事で、文字通り「馬車道」と呼ばれるようになりました。


多くの「日本初」が伝えられた横浜の中でも、この馬車道は特に多くのものが伝えられており、その歴史を現在に伝えると共に、そのレトロな雰囲気で横浜の名物通りの1つとなっています。


馬車道で伝えられた「日本初」


アイスクリーム:1869年(明治2年)5月9日
「町田房蔵」が馬車道通りに開いた「氷水屋」で製造・販売したものが初とされている。
「あいすくりん」という名称で、一人前の値段は2分(現在の価値で約8000円)と高価であり、当初は外国人にしか売れず庶民の手には届きにくいものであったという。
これを記念して、日本アイスクリーム協会が毎年5月9日を「アイスクリームの日」とし、地元商店街は来訪者に「馬車道あいす」 を無料配布している。


事業としてのガス灯:1872年(明治5)10月31日
明治3年、高島嘉右衛門が中区花咲町にガス会社を設立し、明治5年に神奈川県庁付近と大江橋から、馬車道、本町通りまでのおよそ600メートルの街路に、ガス街灯十数基を点灯した。
これを記念して、1986年(昭和61年)9月、馬車道商店街協同組合が中区住吉町4丁目に「日本で最初のガス灯」の碑を建てた。
1972年(昭和47年)には、日本ガス協会が、10月31日をガス記念の日としている。
1984年(昭和59年)には、東京ガス株式会社が中区花咲町3丁目に「日本ガス事業発祥の地」の碑を建てている。
なお、鹿児島県鹿児島市の庭園・仙巌園には、1857年(安政4年)に日本で初めてガスの炎を灯した石灯籠である「日本初のガス灯」がある(我が国初のガス灯(鹿児島県庁のサイト))。
また、1871年に大阪市造幣局周辺一帯で、日本最初の街路灯となるガス灯が設置されている。


近代街路樹:1867年(慶応3年)
近代街路樹のはじめは、1867年(慶応3年)に馬車道の各商店街が、通りに沿って柳や松を植えたことという主張に沿って、1979年(昭和54年)に、横浜市が開港120周年記念事業の一つとして、中区港町5丁目に「近代街路樹発祥之地」の碑を建てた。
なお、通りに沿って樹木を植える「街路樹」は日本国内で以前から行われていたことであり、何をもって近代とするのかは定義されていない。


日刊新聞:1871年(明治3年)1月28日
中区本町通で、日本初の日本語の日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊された。
かつて、中区北仲通の横浜生糸検査所(現・横浜第二合同庁舎)構内に、神奈川新聞社によって建てられた「日刊新聞発祥の地」の碑があった。
同碑は、現在、横浜第二合同庁舎内に保管されている(なか区歴史の散歩道 )。
なお、中区日本大通には、日本新聞協会が設立した日本新聞博物館がある。
なお、大阪市大坂夏の陣で発行された瓦版を日本初の新聞とする説がある。
また、日本初の英字新聞は長崎市で創刊された。


乗合馬車:1869年(明治2年)
日本初の乗合馬車が吉田橋・東京間を走る。
2頭だての6人乗りで、東京まで約4時間かかったという。
馬車道横浜市) Wikipedia

馬車道商店街
http://www.bashamichi.or.jp/


(写真は2006年の「馬車道まつり」の様子)
http://www.hamakei.com/headline/photo/1961/ より