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新しくなった不二家〜伊勢佐木町・PEKO'S KITCHEN 〜

京都市にある「日本漢字能力検定協会」が毎年暮れに発表している「今年の漢字」は
「偽」であった。
あまりよろしい漢字ではない。船場吉兆赤福などによる食品業界の賞味期限や原材料の偽装が相次いだ一年であったからだ。

元々は今年初めに、洋菓子メーカー「不二家」による偽装の発覚が発端であった。この事件によって不二家は全店舗休業となり、一気に倒産寸前に追い込まれた。横浜市民として気が気ではなかった。

不二家、と言えば銀座のイメージが強いが、実は横浜生まれである。1910年に創業者・藤井林右衛門によって横浜市中区元町に洋菓子店を開店したのが最初である。やがて1922年には伊勢佐木町にも2号店として出店するのだが、1923年の関東大震災によって、元町と伊勢佐木町の両店舗は焼失してしまった。

翌年、伊勢佐木町店は再開するも、1号店であった元町店の再開はなかった。だが、まったく同じ場所に「喜久家洋菓子舗 」がオープンし、現在に至っているのは単なる偶然ではないのであろう。

震災後の伊勢佐木町店はしばらくはバラック建てでの店舗によって営業されていたが、現在の立派な建物になったのは1938年の事である。立派な建物と述べたが、それもそのはず、設計者は山手のエリスマン邸やフェリス女学院10号館(旧ライジングサン石油会社社宅)などを設計したチェコ出身の建築家、アントニン・レーモンドなのだ。

戦後は米軍に接収され、「E.M.クラブ」と言う将校のクラブとして利用されていたが、再び不二家として営業再開したのが接収解除の1958年だったという苦労も味わっている。

そんな歴史の沢山詰まったイセザキの不二家が、先月あたりから営業せず工事をしているではないか!!
筆者の幼き頃、亡き祖父母や母に連れられた思い出の不二家がついに………、と思いにふけるのは杞憂であった。「PEKO'S KITCHEN 」として、歴史ある建物はそのままに、改装して元気に再開していた。

名前は若干変わっても、コンセプトはそのままのようだ。安心した。
不二家のキャッチコピーは「おいしさは、しあわせに向かう」である。もう二度と、ペコちゃんとポコちゃんの涙は見たくない。

記事:田中 健介


不二家ウェブサイト

http://www.fujiya-peko.co.jp/

・MY FAVORITE ARCHITECTURE

http://www.iris.dti.ne.jp/~nickey/index_architect.htm