ヨコハマ経済新聞アンテナ +

横浜都心臨海部のビジネス&カルチャー情報を配信する「ヨコハマ経済新聞」編集部のブログ

横浜の花時計〜コスモクロック21〜


 MM21地区と聞いて連想するのは、MM線ランドマークタワークイーンズスクエア…などと出てくるが、大観覧車「コスモクロック21」も忘れてはならない存在である。

 1989年、横浜市は開港130周年、市制100周年という記念すべき年であり、当時まだほぼ更地であったMM21地区の69ヘクタールを利用して「YES’89 横浜博覧会」が行われ、約半年間で1333万人もの入場者を集めた。当時はバブル全盛期の時代であり、華々しいものであった。そんな横浜博覧会の出展施設の一つに、当時としては世界一の大きさであった大観覧車「コスモクロック21」が登場したのであった。

 さて、やや話はずれるが、歴史をひも解くと横浜市で開催された博覧会はこの
「YES’89 横浜博覧会」限りではない。1923年の関東大震災による瓦礫や焼土などを埋め立てて作られた山下公園で1935年に「横浜復興博覧会」が行われている。大震災からの復興を記念して行われたものであるが、テレビ電話やボート溜りに鯨を泳がせるなど、当時としては大変画期的なものであった。
また、戦後の1949年には神奈川区・反町を会場とした「日本貿易博覧会」も行われている。

さて、大観覧車「コスモクロック21」に話を戻そう。横浜博開催中は「ポカリスエット」の看板が中央にあったが、この観覧車、実は当初この博覧会のみの運命に終わる予定であった。しかし、世界一の大きさというインパクトの大きさに加え、横浜という土地にうまくマッチしていたこともあって横浜博の終盤には解体を惜しむ声が相次いだ。そこで存続を約束した上で横浜博は終了、翌1990年には「よこはまコスモワールド」として再びコスモクロック21の営業を再開したのである。その頃はちょうどこれから建設予定であるホテルパンパシフィックやクイーンズスクエアの真ん前にそびえ立っていたが、それらの建設が近づくとまた解体の話が再燃する。しかし既にこの頃には「ヨコハマの顔」となっており、1997年に一旦解体し1999年、新港地区に移り再びリニューアルしてコスモクロック21は営業を再開、現在に至っている。


現在の「よこはまコスモワールド」の土地もやはり横浜市が敷地を保有する暫定施設の扱いとなっていて、2008年度末には一部敷地が市に返却しなければならないそうだ。しかしコスモクロック21はその後も存続との事である。何度となく危機を乗り越えている大観覧車「コスモクロック21」。

 私は最初「クイズ・タイムショック」か?(年齢がバレるか?)と思っていたが、やっぱりコスモクロックなのである、と最近は思っている。

 開港150周年はどれだけの人々が集まるのだろうか?そんな2009年も当然、山下公園やこの「コスモクロック21」もその様子を微笑ましく見守っているに違いないだろう。

記事:田中 健介


よこはまコスモワールド
http://www.senyo.co.jp/cosmo/