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祝・セリーグ本塁打王〜男・村田修一〜



10月9日夜。横浜スタジアム。我が誇るべき市民球団横浜ベイスターズの2007年の長いペナントレースが終了した。
71勝72敗1分。勝率.497。目標としていたクライマックス出場はおろか、勝率5割もあと一歩のところで逃してしまったが、読売、中日、阪神の上位3チームに比べて明らかに劣る戦力の中、終盤まで3位の可能性を残して戦い抜いた姿は来季以降に望みを繋げた。


その中でも頑張った選手…とは言っても選手層の薄い中で戦ったので全選手が死力を尽くした総力戦であったが、中日のタイロン・ウッズ、巨人の高橋由伸、ヤクルトのアーロン・ガイエルと最後まで激しい争いを勝ち抜いて堂々のセリーグ本塁打王(36本)に輝いた4番・村田修一に最大級の賛辞を送りたいと思う。


アメリカ大リーグ・ボストンレッドソックス松坂大輔横浜高校で甲子園を沸かせた1998年、村田は東福岡高校の主戦投手であった。夏の甲子園横浜高校と対戦し、松坂と投げ合って敗れた。敗れたことで投手としての自分に自信をなくし、その後進学した日本大学では三塁手として持ち前の打撃力が花開いた。


その後2003年プロに入る時に、横浜か巨人の2球団から誘いがあった。普通なら条件が圧倒的に良く、全国区の知名度を誇る巨人への入団を選択するだろう。しかし村田は横浜を選択した。毎年のようにスター選手を買い漁る巨人では満足な活躍ができないと思ったのかも知れない。東京ドームの巨人戦で彼がホームランを打つとドーム全体がシーンと静まる。本人はそんな静まった雰囲気がたまらなく快感なのだそうだ。彼は、横浜でスターになることを選んだのだ。
今年はオールスターの宣伝マスコットに選ばれながら、前半戦の不振もありオールスターに選出されなかった。
けれどもそんな不運をものともせず、村田は後半戦に入り本塁打を量産した。
そしてそれが結果的にチームのクライマックス出場の望みを終盤まで伸ばしたことに繋がった。
巨人のクローザーである上原浩治も確かに「雑草魂」かもしれないが、九州男児村田修一もまた「雑草魂」である。

大洋ホエールズ時代を含めて球団で5人目、8回目のセリーグ本塁打王である。日本人選手としての本塁打王は1959年桑田武(故人)以来、球団史上48年ぶりの本塁打王である。また、過去8回中6回はチームが最下位の中でのタイトルである。
今年は本塁打王を輩出した年としては球団史上最高勝率でもある。単に個人記録に走ったわけではなく、チームの勝利を意識した上での本塁打王であったという事も付け加えておきたい。4番・村田を軸に、横浜ベイスターズは強くなっていく。


とにかくおめでとう、村田修一!今日は中華街では双十節。前夜の村田の本塁打王とともに、お祝いしたい。


記事・田中 健介


横浜ベイスターズ オフィシャル・ウェブサイト
http://www.baystars.co.jp/