とあるネットの掲示板に、宮沢賢治の「告別」が書き込まれていた。
10年ほど前に専門学校の先生をしていた時に最後の授業で、
生徒達にプリントして配ったことを思い出した。あのころは自分も若かったなぁ。
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告別
おまへのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
その純朴さ希に充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のようにふるわせた
もしもおまえがそれらの音の特性や
無数の立派な順列を
はっきり知っていつでも自由に使えるならば
おまへは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだろう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがように
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちょうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての力や学や材というものは
ひとにとどまるものではない
ひとさえひとにとどまらぬ
云わなかったが、
おれは四月にはもう学校に居ないのだ
恐らく暗いけはしいみちをあるくだろう
そのあとでおまえのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもうみない
なぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけているような
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしいむすめをおもふようになるそのとき
おまへには無数の影と光りの像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでいるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音を作るのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら
いいかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光りでできたパイプオルガンを弾くがいい