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称名寺と金沢文庫

横浜の南部、京浜急行金沢文庫駅から海の公園方面に向かう住宅街の中にあるのが称名寺金沢文庫
今でこそ、住宅街に囲まれ海側には埋立地が広がっていますが、かつては海に接する眺めの良い景勝地であったことでしょう。
とはいえ、称名寺を囲む“金沢三山”の一つ、金沢山の頂上にある八角堂は今も房総半島などの四方が見渡せるビュースポット。
これらの三山は「称名寺市民の森」という短いハイキングコースとして整備されているのでちょっとした散歩にもお勧めである。


この称名寺金沢文庫は鎌倉時代に権勢を誇った北条氏の一族・金沢北条氏の始祖、北条実時がこの地に居を構えたことに始まる。
北条実時といえば、鎌倉幕府3代執権の頃から幕政に携わり、8代執権の北条時宗の時には蒙古襲来があり、時宗とともに国難である元寇に対応した。
その実時の館の敷地内に建てられたのが称名寺で、その後も金沢北条氏菩提寺として繁栄したが、鎌倉幕府の滅亡とともに徐々に衰退していった。
鎌倉時代の絵図によれば、当時の称名寺梵字の「ア」の字をかたどった阿字ヶ池を中心に様々な建物が建ち並び、鎌倉時代末期には浄土式庭園をもつ壮大な伽藍が完成していたとのことである。
現在、称名寺は国の史跡に指定されているものの、境内の建物は全て江戸時代以降のもので残念ながら鎌倉時代のものは残っていない。
それでも、光明院表門は1665年(寛文5年)に建てられたもので横浜市内では最も古い建築物である。
また境内は1997年(平成9年)から年末年始、春と夏の年3回、夜間のライトアップが行われているので、この時には昼間とは違う幻想的な雰囲気を楽しむこともできる。


金沢文庫は学問に熱心な実時が称名寺同様、敷地内に建てた書庫に始まり、様々な分野の書物が収められていたが、やはり幕府滅亡後は衰退、更にはその後の時の権力者などに文庫内の書物は持ち出されたりしたため、全国にかつてこの文庫に収められていた書物が散逸してしまった。
その後も金沢文庫称名寺の管理下に永く置かれていたが、1930年(昭和5年)に神奈川県立金沢文庫として再興され、1990年(平成2年)には新館が完成。
江戸時代や戦国時代に比べて接する機会の少ない日本中世の様々な文化を体感できる施設となっている。


横浜でも南部になると鎌倉に近いせいもあってか、中世の香りの残る場所が多くなる。
八景島シーパラダイスも良いですが、たまには歴史散歩とハイキングに金沢あたりに出掛けてみてはいかがでしょう?
新たな発見といつもと違うリフレッシュができるかも知れません。



横浜市 環境創造局 自然〜緑・花・農〜 市民の森 称名寺市民の森
http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/green/shiminnomori/shimin_shoumyouji.html


神奈川県立金沢文庫
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htm